自分の『お金』の価値観が変化している件

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若い頃から僕は『いい人』だった・・真面目で仕事も真剣に取り組み多少無理をしても不平不満は飲み込みお金に対してもそう執着がある方ではなかった・・
ただ離婚して10年以上、随分自分自身変わってしまったと感じる・・本質的にはそのままで正直になったというのがホントのところかもしれない・・
若い頃『お金』よりも『人の信頼』『愛』『心』が大切だと思っていたがいまは正直『お金』がないと何も始まらないと思っている・・
いまこうしてREVENGEに取り組めるのも退職金と株でもうけた余裕があるからでこれもいつまで持ちこたえるか分からない・・早く収益を上げ稼げるようにならないと話にならない・・
こう言うと「お金では買えないものも有る・・」「お金に固執するのは寂しい・・」と言う人がいるかもしれない・・僕もかつてはそういっただろう・・
しかしお金で買えられないと頑張った仕事には裏切られ・・自分は二の次と考えていた結婚生活も破たんし、気づけば何も残ってない・・そんな時ある程度の金額が残されていたので路頭に迷わずに済んだ・・
お金がなくても人とのつながりで何とかなるという人もいる・・その通りだと思う・・でも人によっては付き合いが苦手で負担な人間もいるのだ・・正直言って人と付き合うのも、人に頼るのも大っ嫌いだ・
僕はここ数年自分に正直になる事にして、言い換えればあらゆる事柄から逃げ続けている・・かつては耐える事頑張ることが美徳だと思っていて逃げたら終わりだと思っていた・・
しかし耐えたところでどうにもならなかったし精神状態もおかしくなってしまった・・逆に逃げ続けてる今、すごく精神的に安定しているし全然終わってない・・多少後遺症の克服に苦戦はしているがだんだんカタチが見えて来た・・
新しい人生のカタチ・・こうしたい、こうありたいという願望だ・・昔は希望もなりたい自分、願望さえ分からずただ耐える人生だったがそれに何の意味があるのか?
家庭がある人は『家族のため』という目標があるだろう・・それもいい・・僕は一人者なので『家族』を言い訳に目を逸らせない・・
どうしても我慢している場合でなく現実を変える必要がある・・そのためにも『お金』がいるのだ・・「そんな生活や考え方は最低だ」と言われるかもしれない・・でも?誰がそんな事言うんだ?たとえ言われてもその人が僕を養ってくれるわけでは無い・・養ってくれればいう事を聞くがそんな人はいない・・
人はみんなこんなことをすると人になんて言われるか・・て考える・・でも責任を獲るのは自分だし人が養ってくれるわけでは無い・・だから『お金』がいるんだ・・今イオンや安売りの店で服を買い食料品も買い節約しながら生活している・・でも人付き合いや趣味には結構お金を使う
ただ普段着る服もUNIQLOや古着屋で買い別段気に入って入れば不満は無い・・こんなもんにこだわらないのがカッコイイと思っていた・・でも今は百貨店やブランドショップで何の心配もなく服を買いデパ地下で高い食料品を買い外車に乗っている人種がいる事が納得できない・・
この階級と自分の違いはなんだ!って思ってしまう・・そう『お金』だ・・お金を節約し生活するのは慣れているが同じ人間でこうも違うのか?こうも隔てているのはなんだ!ってやりきれない思いがある・・
けっして昔は分からなかったのではない・・目をつぶっていただけだ・・見ないようにしていた・・自分は自分と言い聞かせ言い訳していた・・しかしシガラミも仕事も捨て逃げ始めた今、目を逸らせなくなってしまった・・正直になったというのが正解か?
僕は『あちら側に行きたい・・』お金があれば取りあえずは行ける・・あちら側に・・もう寂しい考えとか価値観がとか言う余裕は無くなってきている・・
アフィリエイトで稼げなくても良い・・他に何か稼げるものがあれば・・そう考えるとキッカケになった株取引『楽天証券』には感謝している・・機会とお金があればまた勝負してみたい・・結構きついけど・・
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