自由の定義は人それぞれどう違うのか考えた件

満員電車.jpg著作者: http://thomasthorstensson.photography ライセンス:クリエイティブ・コモンズ表示 – 継承




今朝もカフェでこれを書いているのだが、いつもより早く勤務地についたので開店前のため違うカフェに入った・・二階のアーケードが見渡せる窓際の席だ・・いつも思うのだが金曜日はバスも店もすいている・・仕事の人が少ないという事か?



社会から取り残されているという感覚




3年前会社を辞めた当時、通勤途中の会社員などを見かけると自分だけが取り残されたような気がして落ち込んだものだ・・今も非正規で安定したわけでは無いがこうしてブログを更新すると幾分かは気持ちがまぎれ以前の焦りも無く通勤風景も普通に眺めていられる・・3年たち随分スーツも着てないし普段着も慣れて来た・・自分で選んだ道という自覚が出てきたのだろう、社会に取り残されてるという感覚もない・・



もちろん結果が残せてないという焦りはあるがあくまで絶対に逆転してやるという炎は消えていない・・昨日も体がきつく休みたかったが勤務後自分の仕事はやり1時ごろ就寝・・やり続ける事自体は継続している・・



よくTVで中高年の悲惨な現状を特集、特にNHKがやっているが、決まって社会に取り残されてる感を出している・・正社員じゃないと社会に取り残されているのか?満員電車にゆられ上司に注意され遅くまで働き「仕方ない」「ガマン我慢」と自分に言い聞かせ生活する事が社会について行っている事なのか?この国の価値観は画一的でつまらない・・



良く考えると自由な働き方を実践しているのは女性の方が多いのかもしれない・・男性が非正規では白い目で見られるが女性なら普通の事で問題視されないのも変な話だ・・もちろん女性の収入が低く貧困も問題視されているが今日ほとんどすべての人がスマホ片手に貧困も何もないだろう・・色々な問題を社会のせいにするから『社会から取り残される』という考え方が生まれるのかもしれない・・



自由の定義は人それぞれ自分が決める事




よく自由の代償として安定した生活を・・とか聞くが、何が自由なのかは自分が決める事で何かを犠牲にする事ではない・・安定した仕事を続ける中で出世し自分の権限を広げ仕事上の自由を目指すものもいるし、僕の様に時間的、場所的な自由を目指すものもいる・・正社員だから不自由、自営だから自由という考えは当てはまらないのではないか?



3年たって精神的に安定してきたとは言え今目の前を出勤で急ぎ足の人たちを見ても不自由だと思わないし自分が自由を満喫しているとも感じない・・朝の時間を獲るために毎日5時台に起きて一時間以上早く勤務地に移動しているのだから時間的な自由は自分で作る物だろう・・ちょっと眠いが・・ただ目の前の人たちにそれぞれ守るべき家族がいてそのために色々我慢してそれでも不自由と悩む前に生活に追われてるのかもと想像すると自分はつくづく人と違う生き方を選んでいる・・普通の人生?は苦痛なのだと感じる・・そそれはそれでしょうがないと今なら思えるようになってきている・・後はREVENGEを実現する為やるだけだ・・



今朝は窓際眺めが良いのでいつもと違う感覚でこれを書いている・・・いつもと違うカフェにて・・



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