著作者: Janssem Cardoso ライセンス:クリエイティブ・コモンズ表示
この件については何と書いていいのか?正直漠然と感じている事なので曖昧だ・・同じ事を感じている人っているのかしら?
楽しい事を心から楽しめない悩み
『楽しい事』と言えば何を思い起こすだろう・・旅行、飲み会、ドライブ、映画鑑賞、行楽や娯楽と言った事だろうか?個人的には趣味に没頭する事も楽しいしショッピングも気晴らしになる・・
楽しくてしょうがないって事がたくさんあるだろうが、僕は心から楽しんだ記憶が無い・・常に頭の片隅に何か重い物を抱えている様な・・「楽しんでいいんだろうか?」という言葉がふと浮かぶ・・子供のころはもっと酷くて重いというよりは不安という感じだった・・
『イジメ』(ああ嫌な言葉だ➡迫害に変更)の影響だろうか・・常に不安でどうしようもなくて、週明けの学校が憂鬱でたまらなかった・・
ここ数年は自分がやりたい事をするようにしているので、一人で行動する場合そうストレスも楽しめないっということは無いが、少しは重い気持ちが残っている・・ただ集団で行動する場合はどうしても憂鬱な気持ちの方が先に立ち『楽しめない』・・どうしても人の目が気になる様だ・・
楽しむ前に人からどう思われるかが心配
旅行にしろコンサートにしろそれ自体を楽しむ前に人からどう思われるかが先にきてしまう・・これって何なんだろう?友達が少なく人付き合いが苦手なのは自覚しているが際限なく人の目が気になてしまうのだ・・
実は変な話なのだが僕の父は仕事人間だったがその次に大切にしていたのが趣味で非常に多趣味な人間だった・・呑むことも好きで人一倍楽しみ朗らかで人に好かれ、屈託のない人だ・・僕は本当にこの人の息子か?って良く思ったもので今でも思っている・・父の様に慣れればと・・
ただ考えてみればそのそばにはいつも母がいて父の奔放な行動を諭していた・・僕は母の血を色濃く受け継いでいるのでこの母の行動が生き写しの様に染みつきいつしか父と正反対な行動、性格を身に付けて行く・・
決して母が人生を楽しむな、楽しい事をする時は自分を抑えろと言われたわけでは無いが、見よう見まねで身についた癖が悪い方向で増幅していたという事だろうか?
結局父の様に騒いで(決して喧嘩や暴力では無い)楽しむ代わり『あの人はしょうがないね~』と言われる愛される人格なのだがその様から子供心に、こういう行動はいけないと間違ってインプットしてしまった様だ・・
親子と言えども性格は違う
今となっては僕は父の様になりたかったと願っていたと思う・・羨ましいという感情が確かにあった・・ただあまりにも違うので心の中で加藤が生まれていた・・結局僕は父の様になれなかったし、行動を真似してもギクシャクするばかりでちっとも居心地が良くない・・
『人の目を気にする』『人と比較する』という事は人を基準にする事だ・・自分の満足、自分の望みは自分しか知らない・・
いま心がけているのは自分が何を望んで何を嫌がっているのか?先に考えている様にしている・・結局人とは違うのだから楽しい事をして楽しめないのは楽しくないからだ・・もっとワガママになって自分が楽しめる事をすればいい・・
僕は人と少し・・いやかなり・・いやスゴク違っている・・母譲りで神経質で心配性で更に人と趣味がかなり違い特殊だ・・
ここまで分かっていて人の目を気にしたところでうまく行くはずがない・・大体、楽しい事が楽しめないなんて悩み自体おかしい事に気づくべきで大笑いだ・・
楽しいか楽しくないかは自分が決める
という訳で人から誘われると断れない性格・・乗り気じゃないが楽しまないと変じゃ?って思うのは辞めにして行きたくなければ行かない・・断る勇気も必要と言う事・・
どうしても付き合いってあるのでそれはそれ、そこで心から楽しめなくても合わせればいい事で、心から楽しめないから申し訳ないなんて悩みはナンセンスだ・・まあ行ってみたら楽しかったって事も有るので、そこは当ったたら良い発見・・だから面白いのだ・・
しかし何でもかんでも悩み考えるこの癖・・何とかならんものか?
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