いじめ後遺症を克服し今後の人生を生きる方法

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画像出典:© 2018 Pixabay
相変わらずなにかうまくいかない日々
いい加減チェンジしないとやばい!
と思いつつマンネリから抜け出せない・・
おはようございますいまさらタローです

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いっそ忘れてしまうかありのままを受け入れる?

このブログを書き続けて気づいたが
克服するべき自己否定
僕の場合子供の頃受けた精神的虐待
一般に『いじめ』と言われるものだ
はるか昔から現代に至るまで
永遠と続く問題
マスコミでは自殺などがあった場合
毎度『いじめ』問題として報道される
人が死ねば問題になる
『いじめ』をした当事者はかなりの衝撃だろう
もともと自覚も悪気も無いんだろうし・・
そんな大事になるなんて思っても見ないだろうから
いい気味だ・・
とも思うが
ただ死んでは終わりなので・・
逆に死ねない被害者は?
もっと悲惨な人生を歩む
僕もそうだ
自分を肯定できないまま
自己の価値を見出せないまま
生き続けないといけない苦痛
これは経験してみないと分からない
ただ良く思うのは
今現在はそう言った被害にあってる訳では無い
事あるごとに追体験を意識し
生きづらい・・
うまく行かない・・
幸せな気分を感じられない
そう言った後遺症に悩まされるだけ
いっそ・・
そう忘れてしまえば
今はその状態に無いのだから
何もかも過去の嫌な思いを忘れれば
自分を否定する必要も意味も無い
思いっきり喜んだり
はじけて楽しんだり
何でも出来る気がする
逆にすべてを含めて受け入れる方法
いじめも含めて・・
『いじめ』って単語自体が気に入らないが・・
『過去の虐待体験』くらいにしてくれないかな?
過去の経験も踏まえて今の自分が作られているとしたら
そう考えると・・
今死なずに生き残ってるのも
過去の厳しい経験を活かして危機回避してきた可能性もある
認めたくないが・・
ではいじめ後遺症の克服とは?
過去の嫌な経験を抱きつつ
それを上回る成功
のし上がるしかない
平凡な成功、生活、幸せでは満足できない
これだけ嫌な思いをしたので
とびっきり大成功しないと気が済まない
まさに過去に対するリベンジ!
どこまで行けば満足できるのか
過去の自分を虐待した人間に対し
『ざまあみろ!』
と言えるのか
それを考えるととんでもない成功デモしない限り
達成感は永遠に得られない気がする
そう考えると忘れた方がましなのかもしれない
でも今僕は前者の方法
一般的な幸せをつかむより
爆発的に成功して
この世の中に
『ざまあみろ!』と言いたい
そういう思いで生きている
死ぬまで実現できないかもしれないが
このいき方はいまさら変えられない気がする
本日も最後までお読みいただきありがとうございます
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