『人の目を気にする』事は『自分の目』だった件

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著作者: johnno49 ライセンス:パブリック・ドメイン



今僕は自分を変える為3年ほど葛藤している・・それまで数十年ダメな自分に嫌気がさしながらも悶々と過ごして来た・・



ダメな自分、嫌な自分って何なのか?




『自己嫌悪』『自己否定』で自分が人と比べて劣っている様な感覚がある事を、びっくりするが幼少期からずっと感じていた・・ただその感覚は漠然としたもので具体的に何かあるわけでは無い・・ここ数年で完全に限界を超えたことで環境が激変し考えざるを得なくなったというのが現実だ・・



真剣に自分が嫌っている自分自身を考えてみると意外と具体的にはイメージがわかない・・鏡や水面に移る自分を観察するように客観的に見つめなおす必要がある・・実は人は自分に甘い・・僕が人の目をを気にするのは比べて人と劣っている事を探し改善するというよりは、人と比べ『自己嫌悪』に陥らない様に事前にセーブする為に行てる気がする・・



つまり自分の行動に対して後悔しない様に事前に「何をしてはいけないか」「何をしてしまったら落ち込むか」リミッターをかけてしまっている・・「こんなことをしたら人がどう思うか?」と考えているつもりだったが「自分を嫌いにならない為にどう制限すればいいか」そのことを無意識に考えて行動している様だ・・



結果行動に制限がかかり窮屈な人生が続いてきた・・実は自分で選択して進んでいるのだが、まるで他人の人生を歩んでいる様に感じるのはそのせいだと思う・・これは「困った・・」



ここ数年今までにない「わがまま」な行動を開始したのは無意識にそのことを感じ取ったからだと思う・・この件の解決方法を考えてみると、「何を基準に方向を決めるか?」って事だろうか?ここ3年は自分が嫌だと思う事に対して徹底して逃げ回っている・・残念ながら自分の意志で毅然と行動してきたというよりは、心身共に限界に達しそうせざるを得ない状況に陥って初めて行動してきた・・



きっかけは何であれ初めて自分の考え望みで行動し始めているのは良い傾向だと思うがいかんせん計画性が無いので、いまスゴク悩み苦しんでいる・・正社員時代に計画的にこれが出来ればもっと楽だったが、その頃は鏡に映る本当の自分の望みが全く分からなかった・・世間体や勝手に思い込んだ人の目を基準に行動していたからだ・・



鏡に映った自分の望みを書き出す作業




まず今自分が本当に望んでいる事は何なのか?この事を常に客観的に考える必要がある・・このブログでカテゴリー分けしている『外見を変える』『考え方を変える』『仕事を変える』『環境を変える』というのはまさに今自分が望んでいる事で間違いない・・毎日取り留めもなく書き続けているこのブログも自分の望みを移す鏡のようなものだ・・『こうなりたい自分』『こうでありたい自分』そういう思いが読み返すと無意識に書き綴られている・・



今まで他人の目を気にして、他人の目を基準に書いてきたつもり・・それを克服するために考えて来たつもりだったが実は自分の考え自分の目を通して、他人の考えを想像し空想して書いている気がする・・つまりそこにあるのは自分自身でしかなくそれ以上でもそれ以下でもない・・





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